一度着ればその魅力がわかる!奥会津昭和からむし織のよさをご紹介!
日本で古くから利用されてきた植物を栽培し糸を作成して着物や帯をつくる奥会津昭和からむし織は、上質で快適な着心地で着物好きの間で人気があります。この記事では奥会津昭和からむし織が作られるようになった歴史的背景から人気の理由まで詳しく解説します。からむし織がどのような素材なのか気になっている人はこの記事読んでみてください。
奥会津昭和からむし織とは
奥会津昭和からむし織は、福島県にある大沼郡昭和村で作られる伝統的な織物です。原材料となるのはイラクサ科カラムシに属する「苧麻(ちょま)」と「青苧(あおそ)」になります。カラムシは縄文時代より親しまれてきた植物で日本書紀にも記載があり、日本全国で栽培・生産が行われていました。
しかし、戦後の文化の変化により生産地が激減し、現在は昭和村と沖縄県宮古島のみで取れる希少な植物になりました。カラムシから作られたからむし織りは、現在福島県の重要無形文化財に指定されています。
からむし織の生産工程
からむし織は、糸の原料となるカラムシの収穫からはじまります。5月中旬に根を植え付けて実際に収穫ができるまで約3年の歳月がかかるそうで気が遠くなりそうですね。収穫ができるようになったら、7月下旬からお盆にかけて刈り取りをして、8月にカラムシが皮2枚になるよう「カラムシ剥ぎ」を行います。
その後に、剥いだ皮の中から繊維を取り出して、取り出した繊維は屋内で乾燥。繊維が完全に乾いたら「おうみ」と呼ばれる根気のいる作業が始まります。これは取り出した繊維を細かく裂いて、手で一本ずつ糸をつむいでいくものです。帯一本のために必要な糸を約2か月かけて作っていくそうで、一つの帯ができ上がるまで大きな手間と時間がかかることがわかりますね。
福島県の昭和村で作られてきた歴史ある織物
からむし織りの原料植物であるカラムシの栽培が昭和村で始まったのは約600年前の江戸時代からになります。会津藩主の保科正之の時代には農作物の栽培が奨励されていたこともあり、名産地の一つとなりました。国の重要無形文化財やユネスコ無形文化遺産にも登録されている「越後上布」や小千谷縮の上布原料としてもからむしの糸が使われています。現在は伝統技術として、若い世代へ技術が受け継がれています。
現在のからむし織
からむし織は明治中期には年間6トンの生産量を記録するほどの最盛期を迎えましたが、洋式衣服が主流になるにつれて需要は減少傾向になりました。そのような状況を受けて、昭和村では「からむし体験事業」が開始され、からむし織の技術に簡単に触れられる体験活動やワークショップが継続的に提供されています。
また技術者の育成にも力を入れています。昭和村では高齢化が課題となっており、全国から技術者となりたい人を募集する「織姫制度」が作られました。この制度に参加した人は、からむし織の一連の作業を実際に村に住みながら学んでいきます。多くの体験者が1年目の体験が終わった後も村に残るそうで、若い世代の育成にも取り組んでいるようです。
一度着るとほかの着物じゃ満足できない
カラムシ糸で作られたからむし織は、夏衣として用いられることが多いです。理由としては、水分の吸湿や速乾性に優れており夏の暑さで汗をかいても蒸れることが少ないからです。「からむし織りで作られた着物を着用すると、ほかの織物を着られなくなる。」といわれるほどなので、さらりとした涼しい着心地を持っていることが伝わってきますね。
天然繊維の中では非常に強く耐久性にも優れており、水に濡れると糸の強度が増します。またお手入れも簡単で、着物は日陰で干したり外出でついたホコリを落としたりすることで長く着ることができます。年月が経つほど手触りが馴染んでくるため、からむし織りの着物や帯は一緒に歳を重ねていける商品となるでしょう。
からむし織の商品
昭和村では現代の生活様式に合わせるために、さまざまなからむし織の商品が生産されています。たとえば、帽子やストールなど洋式の衣類に併せられるものやがま口財布やかばんまで作られています。一目見た時は麻のようにも見えますが、麻よりもハリがあり丈夫なため幅広い商品として長く愛用ができます。
からむし織の商品は、道の駅からむし織の里しょうわ通販サイトからも購入が可能です。現地にいく場合は、コースター作りの体験もできるため興味がある人は、からむし工芸博物館へ訪れてみてください。
まとめ
この記事では、奥会津昭和からむし織について歴史から人気の秘密まで解説をしました。からむし織は栽培から糸づくり、製品作りまですべての工程が昭和村で行われており、長い年月をかけて丁寧に作られていることがわかりました。暑い中でも通気性よく快適に着ることができるため、夏の着物を探している方は、からむし織を検討してみてはいかがでしょうか。